三田文学
あらたなる『三田文学』
2015年6月
三田文学会理事長 吉増剛造
明治43(1910)年、永井荷風を主幹として誕生した『三田文学』は、七度の休刊及び活動休止を経験しながらも、平成22(2010)年に創刊100年の節目に達し、いまも力強い歩みをつづけています。
創刊以来『三田文学』は、慶應義塾の文学科顧問に就任した森鷗外、上田敏、さらに塾出身の佐藤春夫、水上瀧太郎、久保田万太郎らが健筆を揮う舞台となるだけではなく、泉鏡花、谷崎潤一郎のような反自然主義の作家たちの拠点として、あるいは若き井伏鱒二、丹羽文雄、坂口安吾ら塾外の才能にとっての登竜門として、日本の近代文学史上きわめて重要な役割を担ってまいりました。また文学の公器たらんとする編集方針にもとづき、小山内薫の伝統を継ぐ演劇人、西脇順三郎、折口信夫をはじめとする学匠詩人、そして同時代西欧の文学、思潮の翻訳・紹介に積極的に誌面を提供してきたことは、『三田文学』の顕著な特色でした。近年、日本の近代文学や文化に対する関心が世界的なひろがりを示しておりますが、そのような傾向も本誌の資料的な価値をいよいよ高めているとも言えるでしょう。
しかしここに問題が生じてまいりました。『三田文学』が刻んでまいりました100年は、近代的な製紙技術の紙の寿命とされる時間とほぼ合致しております。とくに、用紙確保の非常に困難なときに懸命に刊行を持続しておりました第二次大戦期の『三田文学』は、紙質の劣化が著しく、資料としての保全が喫緊の課題となってまいりました。
そこでこれを救うため、そして資料としての公共化をともに図るため、このたび『三田文学』創刊100周年を記念する企画の一環として、創刊号(1910年5月号)から、太平洋戦争期の空襲による刊行途絶(1944年11月号)までの397冊を、デジタル資料というかたちで復刻することと致しました。これまでの紙及びマイクロフィルムとは異なり、カラー画像で撮影されましたデジタル資料は、洗練された『三田文学』の表紙そして誌面を鮮明に再現いたします。
若く瑞々しい感受性による創作、そしてなによりも歴代の編集長、編集にたずさわってこられた方々との情熱に報いつつ、『三田文学』という貴重な資産を広く研究者等にも提供をし、20世紀の文化の香りと記憶を刻んだアーカイブとして活用していただくことを祈りつつ、『三田文学』100年の歴史にあらたな1ページを開きたいと考えております。