三田文学
オンライン版『三田文学』に寄せて
坂上 弘
2010年に私は『三田文学』創刊100年展を実施する三田文学会の理事長という立場にあった。私は、1910……2010年…… ∞とノートに描きつつ、運命的な大仕事を果してできるだろうかと思った。このエクセントリックな高揚は、同じ『三田文学』から出発した作家の高橋昌男君が、それは君の報恩の気持のたかぶりさ、と鎭めてくれたが。
たしかに私は1954年に復刊した戦後第3次の『三田文学』で育てられた。この戦後10年を経て復刊した『三田文学』をおいて私の出発はない。
それはともかく、2010(平成22)年の10月25日〜11月7日に三田の旧図書館で開催した三田文学創刊100年展は、文学部だけでなく大学創立150年の記念事業の一つにもなった。
そしてこのオンライン版『三田文学』の実験版も、この三田文学創刊100年展の一つとして、雄松堂の力で会場にコーナーが設けられ、明治期の近代文学が生まれる姿やその時代背景を、つぶさにバックナンバーから研究することができるおもしろさを示した。このたびのオンライン版『三田文学』は、これをもとに、創刊から戦時中までの、第1次、2次、3次三田文学が収録できた画期的な文学アーカイヴである。
明治43年5月の創刊以来、『三田文学』は、独特の文体をもつ存在として生きてきた。文体とは、思想の容れものという意味であるが。これは、その編集に携わる荷風、鷗外の瑞々しさを除いてはありえない、自由と異端の姿勢であったといえるだろう。この異端も、谷崎潤一郎の「颷風」が掲載されると発禁になり、学校側との軋轢もおこる。こうした日本近代文学の姿が克明にたどれるのが、このオンライン版である。
ところで私は普段から『三田文学』の創刊号以来の全巻を閲覧できるのが、三田の慶應義塾大学図書館7階のコーナーにあることを知っていた。ここで私は、全巻をひもとくことができた。しかしこれらのバックナンバーは、一組しかない上、製本してあるので、三田文学100年展の展示には供することはできなかった。
困っているところを助けてくれたのが、水上瀧太郎(阿部章蔵)さんの長男阿部優蔵さんである。水上瀧太郎の蔵書を全部提供してくれた。『三田文学』創刊100年展はこの他に100をこえる個人、機関の協力をえて大成功に飾ることができた。
私は『三田文学』をひもとくうち、三田の文人で最も会ってみたかったのは水上瀧太郎であると思った。この瀧太郎は、荷風のもとで学生作家として登場し、其後編集主幹になって『三田文学』を福澤先生の為残した仕事といい、学塾にとらわれない新人登場に力を入れている。丹羽文雄や井伏鱒二も瀧太郎の時代に出てくる。義弟となった小泉信三さんは創刊号から一号も欠かさず読んだのは、『三田文学』だけだと応援・愛読する。こうして『三田文学』が大学文学部の歩みと相俟って、広く新人に公器としての場所になり、ことばの自由を支え、新しい文学をうみ出す。その「自由と異端」は荷風の時代から一貫している。
このたびオンライン版『三田文学』は雄松堂書店のおかげでできた。まず1910年荷風時代から1944年の戦時中まで完成した。懸案の著作権処理についても、さまざまに手を尽し、文化庁長官裁定を申請して時代の役に立つ努力への理解を得た。
このオンライン版の研究者にとってのおもしろさは、雑誌という生きものが時代のまま手に入ること、雑誌の中の時代テーマを隅々まで駆けめぐることができることである。その時代の出版界や広告の呼吸から勿論編集者の思想や大誤植まで。雑誌は生きもの、気づかない歴史の奇跡が見つかるのも、このオンライン版である。多方面のご理解をいただき出来上ったオンライン版『三田文学』を、日本近代文学研究に役立てていただきたい。