静嘉堂文庫 宋元版について
刊行にあたって
静嘉堂文庫
唐滅亡後初の統一王朝「宋」(960‐1279)に、どのようなイメージをお持ちだろうか。欧陽脩、王安石、蘇軾、黄庭堅など後世に名を遺す多くの偉大な政治家、文人たちが活躍し、新しい学問、文化が生み出された宋時代。殊に印刷の歴史の中で「宋」の名は特別な重みをもっている。唐代に始まったとされる木版印刷が、香り高い大輪の花を咲かせたのがこの宋代であった。特に国子監などの公的機関で刊行された書籍は厳密な校訂を経た正確な内容を持ち、彫り・摺り共に技術の粋を集めたものが多い。清新の気溢れる宋文化を支えたのはこの宋版だったといっても過言ではない。宋の後を継いだ元朝でも書院や路儒学、家塾などにより印刷は隆盛を極めた。そしてこれら宋版・元版が我が国の学問・思想界に多大な影響を与えたことは言を俟たない。
静嘉堂文庫所蔵漢籍の中で最も大きな柱となっているのが、清朝末期四大蔵書家の一人、陸心源(1834‐94)の旧蔵書である。帰安(浙江省呉興県)出身の陸心源は武人として活躍する傍ら学問を好み、多くの貴重書を蒐集した。没後、清朝末期の大動乱の中で、蔵書の維持管理が困難となった子息たちより日本にコレクション売却の打診があり、明治40年(1907)、静嘉堂文庫の創設者岩﨑彌之助(三菱第二代社長、1851‐1908)が購収。約44,000冊の陸心源旧蔵書が文庫の所蔵となった。そして宋元版約5,000冊の大半はこの中に含まれているものである。その後、静嘉堂では学会の要望に応え、『静嘉堂秘籍志』(大正6年〈1917〉)、『静嘉堂宋本書影』(昭和8年〈1933〉)を刊行。また平成4年(1992)、文庫創設百周年記念事業として作成した『静嘉堂文庫宋元版圖録(解題篇・圖版篇)』(汲古書院作成)には、宋元版全点の書誌的情報を掲載した。
現在、宋元版の閲覧は文庫内でのマイクロフィルム閲覧に限定されている。原本保護のためのやむを得ない措置であるが、この度、宋元版全点のマイクロフィルムおよびオンライン版の出版に踏み切ることとなった。ひとり漢字文化圏のみならず世界の学術・思想界において掛替えのない宝であるこれらの書物が、今後十二分に活用され、斯界に新たな光を灯してくれることを心より願っている。
宋元版について
中国宋代(10~13世紀。日本では平安~鎌倉時代)・元代(13~14世紀)にかけて制作された木版印刷の書籍。
中国における木版印刷の起こりは唐代に遡るといわれているが、宋代に至り、一つの頂点を迎えた。科挙のためのテキストをはじめ、多種多様な書物の需要が起こり、中央から地方まで、官庁や民間の書肆、個人が盛んな出版活動を行った。主な出版地としては、四川、浙江、福建が挙げられる。
厳密な校勘を経たテクストは後の学術発展の基礎となり、また唐代の楷書に範をとった美しく端正な字体、装飾性と実用性を兼ね備えた版面、版権の表記などは以降の書物の体裁を決定づけたといってよい。板刻・料紙・墨など当時最高の技術・素材を駆使した造本は書物の美の極みとして愛書家垂涎の的であるが、現存するものは非常に稀少で、宋代の遺風を継ぐ元代のものも珍重される。
日本には平安時代から日宋貿易によって輸入され、以降の日本の思想・学問に大きな影響を与えた。鎌倉~室町末期にかけて禅宗寺院が出版したいわゆる五山版の中にはこの宋元版をもとに覆刻されたものが多数ある。