解題 標記の「久楽堂」は、原稿用紙の専門業者。経営していた小林倉三郎は谷崎潤一郎が佐藤春夫に〝譲渡〟した千代夫人の兄に当たる人物で、関連する小説家ともなじみが深く、独自の人的ネットワークを持っていた。太宰の『虚構の春』に登場する「田所美徳」のモデルでもある。井伏鱒二を介して太宰と知り合い、太宰の終戦前までの作品のほぼ全てが久楽堂製であった。
『正義と微笑』は太宰の友人の堤重久の弟の日記がもとになっており、起稿は昭和17年1月、続いて甲府の湯村温泉明治屋、奥多摩御岳駅前和歌松旅館で執筆が続けられ、3月19日に完成したものと考えられる(山内祥史「解題」(『全集第五巻』90・2)参照)。
太宰の主要作の原稿にあっては、比較的訂正・書き換えの跡は少なく、ノンブル103、474等が目立つ程度。一部人名に関する変更(ノンブル416で「河崎→佐々木→横沢」、507「坂田門之助、染川文七」の挿入)などがある。
原稿と初版本本文の間にも異同があるが、原則として、句読点、表記、改行、ルビに関するものにとどまっている。(安藤宏)
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