太宰治は、1909(明治42)年青森県北津軽郡金木村に生れ、旧制青森中学、弘前高校を経て東大仏文科へ入学。1936(昭和11)年に最初の作品集『晩年』を刊行し、ほかに「ダス・ゲマイネ」「お伽草紙」「ヴィヨンの妻」「斜陽」「人間失格」など数々のすぐれた文学作品を生みました。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派とも称されましたが、1948(昭和23)年玉川上水で入水自殺。享年39歳でした。全集・作品集が何度も編まれ、6月19日の「桜桃忌」には多くの文学ファンが集うなど今なお人気は絶えません。
残された原稿や蔵書等の貴重資料のうち、1987年に太宰治夫人津島美知子氏より「正義と微笑」「斜陽」「人間失格」などの原稿30点のほか、中学・高校時代の同人誌、初出誌、初版本などを含む233点が日本近代文学館へ寄贈され、さらに1998年に「人間失格」などの草稿が追加寄贈されました。これらは「太宰治文庫」として大切に保存されてきました。
日本近代文学館の太宰治関連資料はこの太宰治文庫の他にも、ドナルド・キーン氏をはじめ多くの方から寄贈を受け、さらに2013年春、旧制青森中学・弘前高校在学中に書いた日記や授業で使用したノート・教科書など22点が同館に寄贈され、いっそう充実したものとなりました。