日本近代文学館の「太宰治文庫」に収められている肉筆原稿は合計33点(うち小説の完成稿は20点)にのぼり、この中には『人間失格』『斜陽』『右大臣実朝』『正義と微笑』等、太宰文学を代表する長編小説も含まれている。草稿も含めると枚数にして3417枚。これは現在国内に残っている太宰の肉筆原稿類のほぼ7割にせまるものと思われる。これだけの分量が公共施設に収まっているのはまさに僥倖と言うべきで、その功はひとえに、美知子夫人の尽力によるものといえるだろう。
原稿は太宰の没後、40年にわたって夫人が収集されたもので、編集者から返却されたもの以外に、ご自身で購入されたものもあったようだ。ちなみにこの中には『貴族風』『花燭』など、前期の貴重な草稿断片も含まれている。参考までにそれらが残された経緯を、夫人の『回想の太宰治』(人文書院、増補改訂版、97・8)から引いておくことにしよう。 太宰は書き損じの原稿を屑籠に破り棄てることをしないので、甲府時代からの古い反古がたまっていた。その反古と三鷹にきてから出た新しい反古を交ぜて貼り、それだけでは足りないので太宰に乞うて不要になった古原稿をもらって、裏の白い方を表にして障子張り用の刷毛で木箱の内外に貼った。(略)太宰の歿後、そのリンゴ箱に著書を入れて引越し、移転後は積み重ねて書棚として使っていた。上貼りに使った古原稿と反古のことは少なからず気にかかっていたが、実際に剥がしたのは歿後十年以上も経ってからである。原稿のアテナインクが水に数時間浸しても流れず滲まず、剥がしてゆくのに助かった。当時の原稿用紙はいまのB4より大きく美濃紙大であった。もう一字も新しく原稿用紙に書かれた字を読むことは出来ないのだと思いながら、私はリンゴ箱から剥がした大小いくつかの紙片を新しい美濃紙の上に置いて復原していった。(「旧稿」の章)
主要な原稿が太宰の遺品の着物地で丹念に装丁されていることも含め、原稿がもっとも身近に接した人の、濃密な記憶と共に伝承されて来たものであることをうかがわせる一節である。夫人の『回想の太宰治』は、単に題名通りの「回想」にとどまるものではない。実はそこでは原稿に関する詳細な調査、考証が同時に試みられており、太宰の草稿研究の礎としても、重要な意味を持っているのである。オンライン版、DVD版共々、今回の解題執筆にあたって多大の恩恵を受けていることをあらかじめ断っておかなければならない。
原稿の研究は、それらが書かれた時期、状況の確定作業がまず不可欠であろう。この点に関しては山内祥史の「解題」(『太宰治全集』全12巻+別巻、89・6~92・4)が詳細無比な達成を示しており、その成果が本解題においても生かされている。また、原稿自体の翻刻に関しては、『太宰治全集13』(99・5 筑摩書房)があり、ぜひ翻刻された活字と照らし合わせてみることをおすすめしたい。解題は、これら3つの文献を基本に、まず原稿用紙に関するデータ、推定執筆時期、その原稿の特色、注意すべき抹消跡などを簡潔に解説することに留意した。特に抹消跡に関しては、画像だけでは読み取れぬケースもあるので主要なものを抜粋し、判読例を活字で示す形が取られている。太宰の肉筆原稿の本格的な研究はまだ草創期にあり、今後の考証に役立てていただくためにも、余計な憶測を交えず、ひたすら基本的な事項の提示につとめた次第である。
なお、『人間失格』のように完成原稿と草稿の双方が残っている場合、オンライン版は、DVD版では不可能ないくつかの重要な機能が備わっている。たとえば、ある完成稿の表現に該当する草稿にどのような箇所があるか、クリック一つでただちに比較、対照することができる。また、キーワードを入力することによって、作中のその語のデータをすべて掲出できる機能は、本文そのものの解釈にも大きく寄与することになるだろう。
これまで太宰の原稿類は『人間失格』など一部を除き、写真版で見ることはほとんど不可能な状況であった。かつて文学館に日参し、実物にあたってメモをとった記憶も今となってはなつかしい。日進月歩、というべきか、全国の研究者、愛読者がPC画面上で容易に資料に触れることのできる今回の企画は、まことに感慨深いものがある。
オンライン版の大きな特色の一つは、DVD版に収録されている上記原稿類に加え、あらたに中学・高校時代の日記・ノート・教科書類19点のすべてが収録されていることであろう。これらの資料は太宰の没後、長兄で父親代わりをつとめていた津島文治氏が、青森県知事時代、県立図書館長をされていた横山武夫氏に寄贈し、星霜を経た後にあらためて昨春、ご遺族から「太宰治文庫」に寄贈されて話題になったものである。一部は過去の太宰治展にすでに出品されたこともあり、また図録に表紙の写真が紹介されているが、もとよりその内容を詳細に調査することは不可能であった。ちなみに高校時代のノートに関してはこのほかにも「英語」「修身」の2冊が青森県近代文学館に寄託後、弘前大学図書館に寄贈されており(青森県近代文学館「資料集」第五輯(平20・3)に影印が掲載され、弘前大学図書館により復刻版が刊行(2013・3)されている)、太宰の肉筆資料の「最後の宝庫」として話題になったことも記憶に新しい。
これらのノートには授業内容のほか、余白に高校時代に太宰の出していた同人誌「細胞文芸」の目次や表紙案が書き付けられていたり、自画像とおぼしきスケッチが数多く書かれていたりもする。「芥川龍之介」の文字が十数回にわたって書き付けられている頁や「小川麟一郎」というペンネーム案(?)が書き並べられている頁も興味深く、我が身を芥川龍之介になぞらえながら小説家デビューを夢見ていた姿が浮かび上がってくる。中学・高校時代太宰は文学志望を固める一方、時代思潮の板挟みになるなど試練の時期で、そのよすがをうかがう上でもまことに貴重な資料なのである。
これらの「宝の山」を今後詳細に検討していくにあたっては、まずノートごとに関係する授業の個別調査をすることから始められなければならないのだが、今回解説をお願いした弘前大学の山口徹氏が地の利を生かされ、同大学図書館ほか関係機関の御協力のもと、科目、学年、担当教員、授業で使用された教科書などを精力的に調査され、その多くの特定に成功したのは誠に喜ばしいことである。ほかにも中学時代の日記にこれまで知られていなかった書き込みのあることが明らかになったり、中学時代と高校時代の同人誌「蜃気楼」と「細胞文芸」計4冊が収録されるなど、今回のオンライン版を機に、今後習作時代の研究が一気に進展することが期待されるのである。
ノートの所蔵者であった横山氏は、旧制青森中学の太宰の先輩で、太宰は郷里津軽に疎開中の昭和21年の2月、当時青中の教頭をしていた氏に呼ばれ、母校で講演をし、氏の自宅に一泊したこともあったという。先に記した美知子夫人の役割も含め、資料は〝単にそこにある〟ものなのではなく、身近な人々の熱い思いと濃密な記憶に支えられ、それぞれの「いわれ」をもって伝承されてきたものなのである。これらの遺産を最新のメディアによって今後どのように未来に受け渡していくかは、ひとえにわれわれの努力と情熱にゆだねられているのだといえよう。