解題 野原一夫「回想太宰治」(「新潮」昭55・3)によれば、昭和22年5月頃、「日本小説」の記者が口述筆記したものを、のちに太宰が全面的に書き直したものであるという。山内祥史は野原の回想と山崎富栄の日記の記述から、6月3日の口述がもとになっていると推定している(「解題」『全集第八巻』90・8)。
この原稿はドナルド・キーンが太宰の作品の翻訳をした際、美知子夫人から氏に記念に贈呈され、しばらく米国のコロンビア大学に保管されていたが、のち、キーン氏より日本近代文学館に寄贈された。したがって、当初の「太宰治文庫目録」にはその記載がない。
結末(ノンブル164)欄外に太宰の字で、「注意 英語〔□〕誤植ナキ〔□〕ヤウ特ニ注意ヲ乞フ」とあり、「Phosphorescence」と綴りが記されている。
なお、初出誌には、太宰のものと思われる書き込みがある。主に改行指定にかかわるもので、初収単行本『太宰治随想集』(昭和23・3 若草書房)収録時に生かされている。(安藤宏)
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