◆書誌解題◆
22 グッド・バイ
書誌情報
【原稿】
縦書200字詰 B5判 標記「筑摩書房」 全36枚

【草稿】
縦書200字詰 B5判 標記「(岩波書店原稿用紙)」/縦書200字詰 B5判 標記「筑摩書房」 全31枚

【初出】「朝日新聞」22378号(昭和23年6月21日)2面(第一回「変心一」のみ)、「朝日評論」3巻7号(同7月1日)附1(「作者の言葉」)、同附1-16頁(末尾「(未刊絶筆)」)(「朝日新聞」掲出分は太宰治文庫所蔵)
解題
【原稿】
 「変心二」末尾から「怪力三」まで欠落。「作者の言葉」は黒色ペン書き、「変心(一)」「変心(二)」「怪力(一)」は青色ペン書き、「コールド・ウォー(一)」「コールド・ウォー(二)」は薄青ペン書きである。
 朝日新聞社の担当編集者である末常卓郎の証言(「グッド・バイのこと」(「朝日評論」昭23・7))によれば、末常が太宰に「朝日新聞」連載の依頼をしたのは昭和23年の3月初めのことで、美知子夫人「後記」(『太宰治全集15(近代文庫)』昭27・8、創芸社)によれば、起稿は5月15日である。山内祥史は「解題」(『全集第九巻』90・10)において、「『変心二』までの七枚半は五月十八日に、『怪力三』までの三十五枚半は五月二十七日に、『コールド・ウオー二』までの四十六枚は六月四日頃に脱稿した」としている。
 作者の死によって中絶し、「朝日新聞」に発表されたのは、結局、昭和23年6月21日(作者の告別式当日)付東京版の「変身(一)」(連載第一回目分)と大阪版の「変身(一)(二)」のみで、没後、「朝日評論」昭和23年7月号に、残りの「コールド・ウオー(二)」までが掲載された。

【草稿】
 美知子夫人が保管していた草稿のうちの一つで、平成10年5月に公開され、同年10月、『斜陽』『人間失格』『如是我聞』の草稿と共に津島家から日本近代文学館に寄贈された。
 使用されている用紙や記述の形態によって3つの系統にわけることができる。
 第1の系統は「グッド・バイ/太宰治/〔主人公の名前などは、~〕」からはじまる原稿で、「(岩波書店原稿用紙)」の標記のある1枚。画像4の原稿である。
 第2の系統は「グッド・バイ(1)/太宰治/変身一/文壇の、或る老大家~」から始まる原稿用紙と「お義理一ぺん、話題は、~」から始まる原稿用紙2枚で、いずれも「筑摩書房」の標記のあるもの。それぞれ『人間失格』の草稿(ノンブルはないが350に該当するものと、ノンブル365)のウラに書かれており、画像6と画像8にあたる(画像5と画像7はそのオモテで、『人間失格』の草稿)。なお、この系統にあたるものがもう1枚、『人間失格』(草稿)の中に入っており、ノンブル363のウラがそれに該当する(画像152)。
 第3の系統は、第2の系統と同様「筑摩書房」の標記のある原稿用紙に書かれた28枚。このうち画像25と画像31のメモは、それぞれ画像24と画像30のウラに書かれたものである。序文にあたる「作者の言葉」から絶筆の章(「コールド・ウオー(二)」)に至るまで、断片的ではあるがまんべんなく存在しており(ただし「行進(二)」から「行進(四)」までを除く)、完成原稿と同じ用紙であることから、これを正系、第1、第2の系統を傍系とすべきであろう。正系の「変身(一)」の書き出しの異文にあたるのが第1の系統であり、正系に先行する草案であったと考えられる。完成稿では正系(第3の系統)の冒頭に「文壇の、或る老大家が~」という表現が挿入されており、その挿入にあたって下書きされたのが第2の系統であると考えられる。
 この草稿は翻刻が『全集13』(98・5)に掲載されているので参照されたい。なお、最晩年に使用していた執筆手帖(青森近代文学館蔵)にも『グッド・バイ』の構想が書き込まれており、「(青森県近代文学館)資料集第二輯」(平13・8)に影印が掲載されている。
(安藤宏)