解題 昭和12年頃、「文芸春秋」に発表を予定して書かれた「貴族風」の草稿断片。結局掲載されず、この草稿をもとに、のちに『古典風』(「知性」昭15・6)が執筆された。太宰自筆の創作年表(『全集別巻』92・4)には、「昭和十二年」の頁に「貴族風/新潮/31/(楢崎勤)」との記述がある。ちなみに本草稿と『古典風』の内容はかなりの部分が対応するが、「貴族風」の「B」と「D」は、『古典風』の「D」と「B」に置換されている。『全集第10巻』(昭52・2)に、「『古典風』草稿断片」の表題で初めて収録され、のち『全集第十巻』(90・12)において「『貴族風』断片」と改題、『全集13』(98・5)に抹消跡も含めた翻刻が掲載されている。
原稿の約半数に大きな損傷、切断があり、美知子夫人によって補修されている。また、鉛筆で書き込まれたと思われる箇所(ノンブル8、9「ドミチウス」の語、15の二箇所の訂正(「邪魔して」「ゆゑ 」)、18の「ああ溜息つくごとに~」の書き込み、20の挿入句のうち、「なんといふ~いたします」の部分、21の「それを」、25、26の「私は、美談が~」「所詮は、~」の行間書き込み)と、紫色のペンによる書き込み(ノンブル16の「階級」の語の訂正および19の欄外メモ)とがある。
なお、この草稿には「太宰治文庫」のものとは別に、美知子夫人によって保管されていた別系統の7枚があるが、損傷がはなはだしい。原稿用紙の種類が異なり、B5判200字詰、左下欄外に「久楽堂 NO.101 F」の標記(ただし損傷のため判読困難)があり、『全集13』(98・5)に翻刻されている。「久楽堂」の原稿用紙が用いられるようになるのは昭和14年以降のことなので、本未定稿は昭和12年に「文芸春秋」のために書かれた原稿(あるいはその草稿)、別系統のものはこれをもとに改稿された『古典風』の草稿と考えられる。(安藤宏)
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