◆書誌解題◆
28 如是我聞
書誌情報
【草稿】
縦書200字詰 B5判 標記「(岩波書店原稿用紙)」/縦書200字詰 B5判 無標記/ 白薄紙(罫線なし)B5判 全13枚

【初出】
「新潮」45巻3号(昭和23年3月1日)60-63頁(一)、45巻5号(同5月1日)16-21頁(二)、45巻6号(同6月1日)2-5頁(三)、45巻7号(同7月1日)2-8頁(四)  (太宰治文庫所蔵)
解題
 『如是我聞』は従来口述筆記であるとされていたが、実は草稿をもとにしたものであったことがわかる。山内祥史は「解題」(『全集第十巻』90・12)において、野平健一(「新潮」編集者)が筆記したこと、時期と場所は、第一章が昭和23年2月27日に山崎富栄の下宿、第二章は4月2~6日、第三章は5月12~14日、第四章は6月5日の夜、それぞれ三鷹の仕事部屋で行われた事実を明らかにしている。
 この草稿は美知子夫人が保管していたもので、平成10年10月に、『人間失格』『斜陽』『グッド・バイ』の草稿と共に、津島家より日本近代文学館に寄贈された。それに先だって野平健一「志賀直哉と『如是我聞』―『如是我聞』草稿発見に寄せて」(「新潮」平10・7)に全文が紹介され、その後、抹消跡も含めた翻刻が『全集13』(98・5)に掲載されている。
 13枚の草稿は使用されている用紙や記述の形態によって、次の3つの系統にわけることができる。
 第1の系統は「岩波書店原稿用紙」の標記の2枚。うち1枚には「如是我聞/太宰治」と題され、第二章の内容(実際には章の冒頭ではなく、第三パラグラフ)が記されており、横向きにも余白にメモが、異なるペンで記されている。もう1枚は縦書きと横書きが混在した、鉛筆のメモ。
 第2の系統は無標記の原稿用紙2枚。1枚には「如是我聞」の文字が見え、志賀直哉他の評が書き込まれているが、完成稿とは直接のつながりを持たない内容のメモも含まれている。
 第3の系統は原稿用紙ではなく、白の薄紙に青ペンで書かれた9枚。本文四章末尾にほぼ対応する内容。野平健一「如是我聞と太宰治」(「新潮」昭23・6)によれば、第四章は比較的よどみなく、一晩で一気に口述したという。また野平「志賀直哉と『如是我聞』」(既述)には、太宰は口述の一方で、「原稿らしいものを読み上げた時もあった」としている。
 なお、『如是我聞』に関しては最晩年に使用していた執筆手帖(青森近代文学館蔵)にも構想が書き込まれており、翻刻が『全集13』(98・5)に掲載されている。(安藤宏)