◆書誌解題◆
32 日記(大正15年)
書誌情報
『新文芸日記 1926』 大正14年11月1日 新潮社 180X120mm
解題
 新潮社から刊行された『新文芸日記 1926』は、『文章日記』(大5~9年版)、『新文章日記』(大十~十四年版)を受け、内容を一新してこの年から新たな形態で刊行された。大きな反響があり、部数はそれまでで最も多かったという。博文館や積善館から出ていた「当用日記」と並ぶ、当時を代表する日記の一つだが、『新文芸日記』の場合は雑誌「文芸倶楽部」の内容とも密接にリンクしており、古今東西の文豪の紹介がふんだんに散りばめられるなど、文学青年の「学習書」としての役割を果たしていた点に特色があった。
太宰は旧制中学三年の正月、正味一ヶ月にわたって日記を記載しているが、その内容は『全集第12巻』(筑摩書房、昭52・6)に相馬正一氏によって初めて翻刻され、以降の全集にも踏襲されているので参照されたい。旧制中学時代の太宰の状況をうかがい知る、貴重な資料だが、今回、従来知られている内容以外にも、18頁に及ぶ書き込みのあることが明らかになった。
 たとえば「一月の感想」の欄(画像25)にスケッチ風の小品が記されているので、関連する部分のみあげておきたい。

親は近年赤坊を持つた自分の子に問ひ「どうだ お前も子供を持ったから、親の慈愛といふものを始めて知つたらう」 子(二十七八才)笑つて「お父さんが僕が僕の子を可愛がるやうにめんどうを見て呉れましたか〔□□〕、これ程は見て呉れなかったと僕は思ひますがネ・・・・・・」

イゴイスト、
或るイゴな人があった。社会の人も彼をイゴと認めて居た。その人が、学校の先生になつて生徒の水に溺れたのを助けたことがあつた。彼のイゴなのを知ってる人々は驚いた。・・・・・・その時のイゴな彼のことばが振つてる 「ナニね あの生徒を助けなければ自分はメンショクになるからネ」

恩ばかり示せばつけ上る。威ばかりだと憎まれる。〔愛〕人生には愛ばかり〔ぢや駄目〕が脳ぢやナイ。威がなくっちや
「慈厳」といふことばはいい
〔奉〕女中や、下男を多数つかつて居る人等は十分にこの点に注意しべし、(敢へて使ふ人のみ)・・・・・・

鼻をつまゝれて怒りてつまんだ人を殺せし人あり。同情せり。

消防組の人が放火した。そしてその人が自分のつけた火〔の〔□〕火は〕をホントニ一生懸命になって消防した。宜なる哉。

火事で自分の最愛の馬を焼いた男「淋しいことア淋しいですが・・・・・ナンダかこう今迄の重荷がとれたやうなホットした気がしますぜ」(敢へて寛氏の「玄宗の心持」〔を〕より暗示を受けたるに非る也)

親孝行だと云はれて居る男があつた。自分は酒が嫌ひだといふことを母に見せて安心させるが為にことさらに餅(酒のみは餅が好きだそうだ)を我慢して食つたりして居た。あれぢや全く母に安心させ〔る〕んが為ぢやなく母に叱られないやうにするイゴな心からだらう。

 このうち親の慈愛とイゴイストを扱ったものは、この時期の同人誌「青んぼ」第2号掲載の「再び埋め合せ」(全集収録)の内容に生かされている。
 このほか、見返し裏(画像3)、「一二月二十八日」「一二月三十日」の頁(画像242、243)に、当時の文壇への対抗意識や同人誌「青んぼ」に抱く自負などが記されており、また、村上喜剣を題材にした脚本を構想している「購書記録」の頁(画像247)、同人誌「蜃気楼」の同人費の割り当て表のある「購書記録」の頁(画像248)と裏見返し(画像269)、科目の試験対策の日程を記入した「十二月の感想」の頁(画像244)なども注目される。
(安藤宏)