◆書誌解題◆
51 油彩画
書誌情報
油彩 462X326mm(額縁)
解題
 画賛は太宰の手になるもので、「昭和十七年一月/他画他讃/自讃する/人もありき」。3人の肖像の右下の像には「太宰居士像/重久」、左上の像には「治/堤先生像」、左下の像には「富子女子像/富子」とある。なお、額縁の裏には「昭和十七年一月、秋田富子(秋田聖子の亡母)の部屋にて、画きかけのカンヴァス上に、太宰治が堤重久の顔を画き、堤が太宰の顔を画き、富子氏が自画像を画いたもの、添書、署名は、すべて太宰が記したものである、/堤」という覚え書きがある。
 堤重久は昭和15年頃から太宰に師事、その交友関係は『太宰治との七年間』(筑摩書房、昭44・3)に詳しい。太宰はこの絵を描いた時期に堤重久から弟康久の日記を借り、『正義と微笑』(昭17・6、綿城出版社)を執筆していた。
秋田富子(1909~1948)は太宰の短編「水仙」(「改造」昭17・5)のモデル。アナーキスト系の画家、林倭衛と結婚し自らも画家をめざしていた。離婚後、高円寺に住み、萩原朔太郎、亀井勝一郎、太宰治らと親交があり、太宰もまた富子に深い信頼を寄せていた。疎開から帰京した後は三鷹に住み、娘の聖子は太宰の短編「メリイクリスマス」(「中央公論」昭22・1)のモデルとしても知られている。(安藤宏)